ホームドラマが生まれた時代

昭和の時代にあって、今の時代にないもの。テレビ番組のなかで失われたコンテンツといえばホームドラマでしょう。親がいて、兄、姉、妹、弟、祖父や祖母兄弟、従兄弟、近所の人々、友だち。何気ない日常のお話なのに、毎週楽しみに待ったものでした。

最初はまったく受けなかった国産ホームドラマ

アメリカンドラマの項でも書きましたが、日本のホームドラマの原型はシットコム(シチュエーション・コメディ)とよばれるアメリカのホームドラマです。

しかし、テレビ放送がはじまってしばらくの間は日本製のホームドラマは受け入れられないとさえ言われたほど不人気なコンテンツだったのです。

物質的な豊かさを見せつけるようなアメリカのホームドラマに慣れた当時の人々には日本のホームドラマは、どこかみすぼらしいものに映ったのかもしれません。

 

日本のホームドラマの始祖・元祖・本家は日テレの「ママちょっと来て」

国産ホームドラマは当たらない、この風潮を破ったのが昭和34年に始まった日本テレビの「ママちょっと来て」です。

舞台となったのは東京山の手。パパは会社の部長、ママは専業主婦、プラス子どもたちの一家は中流の上クラス。当時の庶民から見れば、ギリギリ現実感のあるハイクラスな生活です。

お手本となっているのは「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」など、当時人気だったアメリカ製のドラマです。

 

ドラマのTBSもホームドラマ路線へ

「ママちょっと来て」のヒットに影響を受けたせいかどうかはわかりませんが、ドラマのTBSも負けじと2世代同居の若い主婦が主人公の「咲子さんちょっと」でホームドラマに進出します。

「咲子さんちょっと」で描かれている家庭もやはり当時としてはハイクラス。お祖父ちゃんは漫画家で、咲子さんの夫はテレビ関係の仕事。なんだか内輪ネタみたいでもあります。

ちなみに当時はまだなじみの薄かったパパ、ママという呼び名が意識的に使われたのも「ママちょっと来て」。日本の家庭でパパやママが使われるようになった一因がこのドラマにあったことは間違いありません。

それにしても、この2つのホームドラマ。ちょっとという呼び掛けが共通のワードになっているのはどういうことなんでしょうかね。

 

昭和の家庭らしい大家族ドラマが人気に

「ママちょっと来て」のヒットで自信をつけた日本のドラマの次のステップは、3世代同居など、当時の世相を反映した大家族ものでした。

当時の人気ホームドラマ「七人の孫」、「ただいま11人」などが始まったのは昭和39年。前回のオリンピックイヤーです。多分、大家族がそろってオリンピックのシーンをテレビで見るなんて構図もあったのではないでしょうか。

そういえば家族が集まる共有空間としてのお茶の間という言葉もありました。テレビはこのお茶の間の象徴であり、みんなでいっしょに楽しむメディアでもあったのです。

このあたりの家族の一体感的なものはアニメのサザエさんをイメージしてもらうとわかりやすいと思います。3世代同居で食事は全員揃ってお茶の間で、もちろんそこにあるのはロータリ式チャンネルのテレビです。

時間ですよ 寺内貫太郎一家 ムー一族

さて、昭和のホームドラマといえば伝説的な「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などを思いうかベる人も多いでしょう。それについても書きたいことけっこうあります。あるんですが、それについては次の機会にでも。

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