一昨日6月22日に書いた“怠け者の僕がそうじゃなくなった理由についてのイントロ”の続きです。やっぱり老化だと思います。年をとってナマケグセが修正されるタイプ、逆にナマケモノになるタイプ。両方があるんじゃないかな。
たまたま、僕の場合は前者だったというだけ。老化で勤勉になる人、ならない人。その違いを勝手に理由づけてみました。
性格は変わらないけど余裕がなくなるとやることは変わってくる
考えたんですけど、自信がなくなってきたのだと思うんです。今までどおりにやってたら期限に間に合わないというか。余裕の欠如ね。
調べ物をしたり、必要なものを用意したりといろいろ準備しておかなければ、やっていけない程度の情けない体力だったり、頭脳になってしまったということなんですかね。
仕事にしてもギリギリまで遊んでも、ダッシュで間に合わせちゃえば大丈夫よ。さぁできたよ。これでどう、いいじゃん。大成功。終わった、遊びにいこう。
みたいなメリハリの効く僕ではすでになくなってきた。これに気づいたときは、もうお年寄りの仲間入りですよ。
先発は無理だけど中継ぎなら野球だとそんな感じ
野球で言えば速球派から技巧派へ転向したピッチャーみたいなもの?そうですそんなイメージね。でもまだ現役でやっていきたい。だから準備が必要なわけ。
その結果が、怠惰なオレから、周到なボクへの変化。なんでしょうね、きっと。素直に考えると嫌だ、とんでもなく嫌だ。
自分の老いに気づくってツライぞ。ネッわかるでしょ。僕が一所懸命に筋トレをする理由もこんなところにあったりして。と改めて自己分析。
要は開き直りが足りないんです。それならそれでまっいいか。今日は久々に、酒でも飲んで寝ちゃいます。